たとえグローブをつけているとはいえ、1対1互いの拳で相手を倒すまで闘うボクシング。その闘うさまを見て人が熱狂するのは大昔から変わらない。人は本能的に血を欲するもの、それがどういった形で欲するにせよ…これは繋がりとしての血を求めた老トレイナーと「モ・クシュラ(=わたしの血潮)」と呼ばれた遅咲きの女ボクサーの物語。
ジムのオーナー兼トレイナー、フランキーと ボクサーのマギー、そして二人を陰で見つめ支える元ボクサー スクラップの出会い、トレーニングから孤独な境遇の二人が試合で100万ドルを手にできるようにまで登りつめていくパートは進行も巧みでリズムよくとんとんと進んでいくのに、その会話であったりスクラップの独白の端々から感じられる漠然と暗い影。あとから思えばあからさますぎる伏線とはいえ、その語り口、つなぎ目が絶妙で、あくまでもボクシングパートはアクセントをつける贅沢な添え物、といったら言葉は悪いけど導入部にすぎないようにも思えてきます。
フランキーがその結論を下すまでには身を引き裂かれるような大きすぎる苦悩があり、画面の中の彼と一緒に観ているこちらもつぶされそうになって苦しくなる。マギー本人の意思は絶対的なものとして尊重されるべきなのか、それとも彼女の絶望と背中合わせの達成感は一時的な気の迷いで、時が経てば再びリングで闘った時と同じように不自由を克服しようと闘う意思がわき上がる日が来るかもしれないというわずかな希望をまわりが残しておくべきなのか。宗教上云々の理由はそこにあるから歯止めとして持ち出されるに過ぎなくて、それとは別に、本来「命」は誰のものなのか、本人のもの、それとも本人だけのものじゃない…ニュースで報じられるたびに考えさせられる安直には答えを出せない重い重い問いです。
フランキーが決断するに至るとどめを指したとも言えるのは片目の視力を失った老ボクサー スクラップ。マギーの父親が飼い犬に手を下したように彼はフランキーの重荷を言葉で取り除き、そしてフランキーも行動に出る。「マギーは決して後悔しない」という言葉は、物事の時期は決まっていてそのタイミングを逃すな、というスクラップの持論に叶ったものだったわけですが、それは神、それとも悪魔の囁きだったのか。その表裏一体具合が視力を失った目とそうでない目を持つスクラップの表情に表れてる気がして。少なくともフランキーの耳に入ったその言葉は彼がボクサーに施してきた速攻治療と同じように効いてしまった(というか背中を強く押してしまったというか)というのも因果な話。
最終的な行動に関してイーストウッドは作品の中でフランキーの姿を消す事で肯定も否定もしていないし、見る側に完ぺき委ねている。推測なのだけど最後にフランキーに届いた手紙は娘からの会いたいとかそういう優しい手紙ではなかったのかな。でも彼は重荷を背負うべく背を向けて行方をくらませてしまうという。
この作品にアカデミー賞が贈られた事に関して賛否両論はあるだろうけれど、元々示し問う事が目的だった彼にとっては賞なんてどうでもよかったんではないかとも思います。
何度も繰り返し観るにはヘヴィだけど、みたらまたいろいろ考えてしまうであろう作品。
@渋谷シネパレス
原題:MILLION DOLLAR BABY 監督:クリント・イーストウッド 2004年製作
出演:クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマン