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映画、ときどきその他の鑑賞ログ

クラッシュ

 ロサンゼルスの2日間の中で起こる様々な「衝突」を切り取り描いたアンサンブル劇。ロスというのは、わたしは行ったことないけれど、車がないと何にもできないところだと知人の多くがいいます。そういえば地下鉄もニューヨークみたいに発達してないですよね。プログラムにも書いてあったのだけど、マイカーが普及しているということは、自宅と会社であったり出かける先の2地点の移動はほかの誰とも関わり合いを持たずに家族と同僚であったり友だちであったり、ごく親しい人たちだけとの接触で済まそうと思えば済ませられる。そういうところで暮らしたことのないわたしは不思議に思うけれどあちらにしてみれば別に普通の生活なのでしょう。
 わたしらにはわかりにくい人種云々の問題はあるのだろうけれど、やっぱり911以来アメリカの社会の中では知らない人間に対する恐怖みたいなものが余計に大きくなってるんでしょうね。建前は自由を求めた移民たちの国で、どんな人でも平等に暮らせるという理念に基づいて出来た国。白人も黒人もアジア系も問わずウーッエスエーッと一致団結してできるのはオリンピックぐらいなものなのでしょうか。

 作品の中で起こるのは人種的なものであったり、生活環境によるものであったり、体験からくるものであったり、誤解であったり、恐怖心であったり、いろいろな要因から起こる他者との衝突。
 先日はヴェンダースの映画で渇いたアメリカ(多分に風景的なものはあるんだけれど)を感じた訳なんですが、本作で感じる「渇き」はとことん人関係の渇き。テーマが違うといえばそうなんですけれど、同じアメリカを描くにしてもどうしてこうもにおいが違うんだろうとも思わないでもないんですが、やっぱ他国者からの視点と本土者からの視点(とはいえ本土の中にもいろいろな見方をする層はあるだろうけれど)の違いが大きいのでしょうか。本作で描かれる人間関係、人種に対する見方に関してはアメリカの批評でも誇張しすぎだみたいなことも言われてるらしいんですが、ということはホントにああなのかしら、ってことなのかとも思う。個人な話ですが近いうちにかの国に出かけることをちょこっと考えたんだけれども、なんかこの映画みたらやっぱ東海岸にしたほうがいいかなぁ、というよりもやっぱあの国にゃ怖くて行けないし とてもじゃないけど暮らせないよと思った次第。これまたひとつのすり込み、というか思いこみではありますね(苦笑)

 差別や偏見というのはどんなものでも、基本的にはすり込み・思いこみに基づいている気がします。すり込みがあるからそれに基づく体験があり、どんどん蓄積されて、全くありがたくはないけれど次々受け継がれていくような。子どもの頃には誰だってまっさらな状態でいるはずなのに、親も含めた環境・メディアなどからその人の中に種がまかれる。でもそういった偏見の種をもっているとはいえ、その人物そのものが全くの悪人ではないわけですよね(またその逆も)。その辺上手に描いていた作品ではないかと思います。だから救いがあるようにもみえるし、余計重いようにもみえる。偏見であったり思い違いは一番わかりやすいのは人種になるのかもしれないけれど、それが時には家族の中で成功した者に対しても生まれてしまう。なんか悲しいなぁと思って、ズーンとしてしまいました。戦争物よりもヘヴィーかもしれません。人を信じられなくなる社会って本当に悲しい。

 たとえば刑事と母親のエピソードなら普通なら「息子よ、よくこの泥沼のような生活から抜け出してくれた、お前は家族の誇りよ」みたいな描きかたするのが好まれるだろうし、女の子とペルシャ人お父さんやプロデューサーと巡査のエピソードにしてももっと殺伐悲劇的な結果にもっていって問題提起的or社会派風な描き方する方法もあったりするかと思うんですが、予想外の展開に脚本がひとひねりしてるというか、偉そうだけどよくできてるなぁと思いました。でもプロデューサーの奥さんとマット扮する警察官のエピソードはたぶんああいうことがあっても、あの奥さんに植え付けられた恐怖や辱めの傷は早々消えるものではないんじゃないかなとも思う。なんていったらこの作品に出てくる人みんなかもしれないけど。あとT・ハワード扮するプロデューサーの「お前は他人と同時に自分自身もおとしめてる」というセリフはやっぱり出てくる人ほとんどに言えることであると同時に一番のメッセージだと思いました。
鍵屋さん父娘のエピソードは単純に泣けました。


原題:Crash 監督:ポール・ハギス 2005年製作
出演:ドン・チードルマット・ディロンテレンス・ハワードほかetc.etc